2度目の山村留学を決めた理由

山村留学
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こんにちは、sakiです。
昨日は雨模様でした。夕方町営温泉に向かうとき、野生の鹿に遭遇しました。子どもたち感動していました。もうしばらくしたらこの光景も普通のことになるのかな?

今日は、これから山村留学をすることにした経緯を思い出しながら書いていきますね。

私たちは2022年度は宇宙留学で種子島の南種子町に暮らしました。
宇宙留学を終え、移住も少しだけ考えましたが、住宅を探すのも大変!
次女が「一年って言っていたじゃないか。東京に帰りたい」というのもあり、東京の自宅へ帰ることに。

4月から、東京の長女がもともと通っていた学校へ二人とも転校。
もともとのお友達もいるし、最初は二人とも楽しく通っていました。
2学期に入り、学習発表会の練習が始まり…
このあたりから不穏な空気が…次女があまり学校に行きたがらないように。
この理由は学習発表会本番を見に行った時に判明するのです。

私たち夫婦は生まれ育った地で子育てをしていたのですが、
私たちが子供時代は少子化で子供が減り、学校の合併が進みました。
ところが現代に入り、もともと一軒家だらけだった地域に大きなマンションがどんどん立ち並び。
あっという間にマンモス小学校になっていました。
いずれ子どもは減る予定だから学校の新設はもうしないということで。
〇〇準備室、図書室、パソコン室、廊下をつぶし、教室をどんどん増設。それに加えコロナ禍。

1学年130人以上で学年全体活動を行うには無理があるのです。
学習発表会はやりたい役はできず、さらに出番も一人一言。練習はほぼほぼ待ち時間。
辛かったと思います。
先生方は悪くありませんので責めるつもりもありませんが、その状況から抜け出すためには引っ越して住所を変えて他の学校に転校させることしか思いつきませんでした。

とはいえ、私の生活も整いつつあったのでどうしようか迷いつつも
インターネットで山村留学について調べながら、問い合わせを始めました。
ときは11月。そろそろ寒くなるころ、場所によっては冬タイヤ…
我が家は冬タイヤ持っておらず、レスポンスの早かった2か所に見学に向かいました。
見学に行くには行きましたが、私の気持ちはまだ定まっていたわけではなかったです。
でも行ってみて、娘たちの気に入る学校と家がセットで見つかり、とんとん拍子で話が進みました。

山村留学のため引っ越すことを伝えた時、
次女の担任のベテラン先生には「お母さんのそのお考えとってもいいと思います」な反応。
長女の若い担任の先生には「そんな遠くに行ってしまうんですね。寂しいです」な反応。
この反応の違い面白いな、と思いました。

このブログにたどり着いている皆さんは、山村留学、宇宙留学に興味のある方々だと思います。
ご意見やご感想をいただけたら私とっても嬉しいです。

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